TAKAの父親が亡くなったのが
平成23年5月23日永眠。61才。
この時に まだ健在だった祖父より
TAKAは早く逝ってはいけない!!!
それだけは!!!と強く思って生きてきた。
(事情はおいといて・・・)
祖父は後10年 100才までは生きるだろうな~と考えていた。
が2週間ぐらい食欲がおちた・・・
そして枯葉のごとく逝ってしまった。
このブログに少し前 仲良かった釣具屋のおばちゃん
友達の子供が
亡くなったと書いたが
この時に 会えなかった後悔だけはいやだ!!と書いていた。
祖父の食欲がおちた時 まだ元気だったが
何か胸騒ぎがして6月16日 特養に会いにいったんだよね。
6月9日はこんなに元気だったんですがね。
6月25日 早朝息を引き取った。
自宅に帰宅。祖父が建てた 大好きだった自宅へ。
前日まで歩いていましたがね・・・・
同じ失敗は2度としてはいけない。
会いに行ってよかったあ~
最後の祖父の言葉は
「千代(亡妻)が迎えにきたから いくから。」
こう施設の人に言って旅立ったようです。
霊界からのお迎えってあるんですね(*^_^*)
実は会いに行ったとき 生あくびをしてたんで
死が近いことはTAKAでも分かりましたがね。
父親は亡くなる前 数日
幽体離脱してたようで
生身の体と 抜けていく魂を
手の平で何度も確認してました。
この現象が起きると 数日以内に亡くなるんですよね。
TAKA32才
人生2度目の喪主を無事に終えることができました。
なんかここ数日 脱力感で力が入らなくなったんだよね~
祖父はお寺に30年奉仕し
総代もやっておりました。
お通夜も住職が2名来る異例さ
葬式も一番格の高い戒名を頂き
そして 住職2名(檀家のお寺さん)が 涙を流しておりました。
田舎なんで住職は6名でやるんです。
住職が涙を流すなんて初めてみました。
正直 これを見て TAKAはもらい泣きしそうでしたが
何か すっと 楽になったような感じがありました。
これが祖父が生きてきた証なんだなって。
生きてきた証って大事ですね。
もう1回涙を流しそうになったのが
TAKAの弟が海外から送信した弔電。
弟よ。やめてよね~ 泣けるような言葉。
弟よ。あなたの名前で1対だしておきましたぜ。
合計 3万ね。
弔電の後に喪主挨拶があったから
弔電のおかげで うるうる星人になりかけてしまったわ~((+_+))
でもね 無事に式は終えたぜ~(=^・^=)
お盆に帰ってきた時 しっかりとお参りしてあげなね~!(^^)!
じいさんは TAKAより あなたの事の方が好きだったからね~☆ 笑
こうして 直系男では TAKAが一番年上になりましたが
ここ2年不幸があったおかげで
親戚付き合いも濃くなったと思います。
叔父たちとゴルフも行けたし(今月も行きますが 笑)
9月には代官山に友人の結婚式に参加するついでに
叔父が会員の関東のゴルフ場に武者修行にも行ってきます(=^・^=)
失うものがあれば 得るものもあります。
常にアンテナを張って生きてれば 人生面白いのかもしれません(*^。^*)
親戚付き合いは大変だけど こんな関係が希薄な世の中だからこそ
大切なことかもしれません。
祖父の安らかな眠りに合唱。
P.S. REOゴメンネ。曾じいちゃんのお骨を見たのが衝撃だったね。筋肉はどうなったのかとか 骨はどうなるの??とか色々考えさせちゃったね。でもね 4歳にして2度目の身近な死。死の意味を理解する4歳は中々いないんだよ。曾じいちゃん じいちゃんは お空にいって REO TAIGAをいつも見守ってるんだよ。 合掌
魂が空に飛んでいくところ・・・